幼き頃の釣りの思い出
小学校の頃かな? お年玉で竹の3本つなぎの釣り竿を買った覚えがあります。
参観日だったかな、早く終わって友達と池にフナ釣りに行ったよ。
学生時代
親父に連れられて川之江港へ釣りへ行きました。 港でチヌやメバルがよく見えていた事を思い出します。
親父が好きだった事もあり、休日の船でのキス釣りや岸壁の小物釣りにもよく連れていってもらいました。
高校時代はチヌの夜釣りが多くなりました。
初の遠征(社会人になりました)
入社した会社には釣り好きがたくさんいました。
始めて釣り竿を担いで南予(愛媛県西部・自宅から150km以上)へ行き先は佐田岬半島。
仲間と初めての宇和海の釣り場へ行きました。
大きいのが釣れたら刺身で食べようと、まな板・包丁・わさびまで準備しての釣行でしたが、30cmこえる真鯛に釣った者が「持って帰って魚拓取る」で食べるの中止。
今思えば、あんなサイズでそこまで興奮したのだな!
この頃は、車も入手し、鳴門や菊間100km内外への釣行は釣り場案内の本を片手によく走りました。
狙う魚は カレイ・キスが主力かな。
ある時中学時代の先生たちと釣具屋で会いました。
磯へ行くなら一緒に行くか。
初めての磯釣りは高知の興津、30cm程のグレが数匹釣れました。
この時が釣りの世界へどっぷりとつかるきっかけになりました。
磯釣りクラブに入会。
北四国磯釣りクラブ入会・師匠(尾藤守信氏・クラブ会長・関西磯連副会長・他各種釣り団体役員多数・著書もあり)もでき、週末は必ず海や川で過ごすようになりました。
磯では先輩方に手取り足取り教えられ(初めは撒き餌から仕掛け・流し方全て横で専任コーチ、魚がかかれば落ち着くようにとタバコに火を付けてまでくれました)
磯でない日は師匠自ら渓流釣りの手ほどきでした。(渓流は磯と同じで水の流れを読むには最高の道場でした)
四国中の5万分の1の地図を手に入れて、師匠と地形を見ながらこの谷・あの谷と探っていたのがこのころです。
1匹釣れたら、此処には居るのが判ったから次へ行こうの連続で大釣りはありませんが、楽しい毎日でした。
師匠がラジオの釣り情報へ情報を流していた事もあり、波止場の釣り・磯の釣り・砂浜の釣り・川の釣り何でも経験しました。
会社での仲間と共に
サーフなどの釣りクラブ経験者も多い会社の釣り仲間とキスを釣りに夜間250kmも走る事も増えてきました。
時にはメバルを釣りに200km・チヌを釣りに250km、走るのは好きなのか釣りが好きなのかわからない様な週末でした。
この頃の目標はチヌ55cm以上・キス28cm以上
退職後は釣り船も処分、渓流のみ
退職後は年金暮らしです。
お金の掛かる磯釣りや船釣り主体の釣りも続けることは出来なくなりました。
身体の老化を抑えるためには歩く事と、登山を主体にして、やはり身体を動かす渓流釣りとが主体の生活です。