衛門三郎  四国88ヶ所巡礼を始めた人
昔 松山に衛門三郎という長者がいたそうな。
村人を苦しめる非道の長者と言われていた。
その長者の門前に立った弘法大師が一椀の食を乞うたが、追い返した。
続けて訪れる大師に8日目には大師の捧げる鉄鉢をつかみ、大地に投げつけたという。
その鉄鉢が八つに砕けて飛び散り、翌日から8人の子供が毎日亡くなり八日目には全員が死んでしまったそうだ。
衛門三郎はここで始めて悪行の報いとさとり、大師の後を追い、四国中を回ったという。
21回目に回っているときに焼山寺で大師と合い、許しを請うたそうだ。
衛門三郎の臨終の時、大師は「衛門三郎再来」の小石を握らせ、衛門三郎は安らかに往生した。

衛門三郎が握って死んだ小石は、領主河野息利の子、息方が握って生まれ、この石を奉納した寺が石手寺となった。
文殊院

第47番八坂寺より第48番西林寺に移動中に文殊院がある。